人間としての厚みを増す読書の勧め

人間としての厚みを増す読書の勧め読書

学校での成績が良くても常識や一般教養もなく、人間として薄っぺらな感じを受ける人は少なくありません。これは何かを暗記する能力に長けているだけで、決して人間力があるとは言えません。

一方で、高等教育を受けていなくても、多くの人の話を素直に聞く耳を持ち、また読書などを通じて教養を身に着け、自分で考えると言う力を持った方もおられます。

こうした人間力を身に着けるには、読書は極めて重要な役割を果たします。今回は、人間として厚みを増すための読書の勧めについて書いてみようと思います。

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小学生の頃の読書習慣が続かない理由

幼児の頃には親に童話等の読み聞かせをしてもらったり、小学校でも低学年の頃には学校の図書館で本を借りて読む習慣がある子供は少なくありません。

しかし、高学年になるにつれ読書の習慣を持つ子供は少なくなり、中学生になると読書をする子供は極めて少なくなります。興味が分散化され、読書に対する興味が極端になくなってしまうのです。

塾通いで時間が取れなくなったり、ゲームやスポーツで時間を取られる事が、それに拍車を掛けていると言えるでしょう。

幼い頃に持っていた読書習慣を、時間は少なくなっても続ける必要性を学校教育や家庭教育でしっかりと教え続ける必要があると思います。

感受性の高くなる時期に読書を通じて色々と感動したり、知らなかった知識を習得する事は、人間の幅の拡大に大きく寄与するはずです。

学校教育だけでなく人間性教育、自分で学ぶ力を身に着けさせるように、社会全体がもっと読書が必要である事を啓蒙する事が必要だと思います。

大学時代には専門以外の書籍を乱読すべきです

大学生の中には専門の学問をしっかりと学び、自分で積極的に学ぶ姿勢を持っている人も多数います。しかし、専門の学問はそつなくこなし、後はアルバイトとサークル活動で楽しく過ごせればよいと考えている大学生が余りにも増えています。

専門の学問に対してこの姿勢では、専門外の書籍をしっかりと読み込んで様々な知識と共に、自分で深く考えると言うベースの確立は望むべくもありません。

大学時代には学問と共に、遊ぶ事も必要だと昔から言われています。この遊ぶと言う言葉には、昔は幅広く興味を持ち、専門分野をそっちのけにして自分で学び考えると言う事も含んでいました。

しかし現在では、本当に快感を求める狭義の遊びだけになってしまっているのです。これでは大学を卒業しても、専門分野の知識も教養もない薄っぺらな遊び人が生み出されるだけです。

こうした人が次の世代の子供を教育者として親として育てるのですから、益々こうした傾向に拍車がかかってしまいます。

大学時代には、とにかくあらゆる分野の書籍を乱読される事をお勧めします。どんな本でもそれをしっかり読む習慣が付けば、次第に何かを得る能力が備わるはずです。

こうした体験は人間力を高める事に繋がり、必ずその人の人生に有形無形の効果を与えてくれるのです。

社会人はSNSに興じる時間を読書に振り向けるべき

社会人になると仕事関連の書籍を読んだり、自己啓発的な書籍を読まれたり、ビジネス書に親しまれている方も少なくありません。

こうした方は自己成長を考えておられ、そこに話題の小説や話題となっている新技術の解説書を読む事をプラスすれば、バランスの取れた読書習慣が維持できるでしょう。

また、何事にも関心をもち、比較的深く考えられる人として成長する事が期待できます。

しかし、最近では時間があればスマホばかりいじっている人が増えています。ネット上の話題やSNSをいくら読んでも、そこから人間性を高める教養が得られる事は極めて少ないと言えます。

通勤の車内で文庫本を読む人は、ほとんど見かける事がなくなりました。これは本当に寂しい限りです。しっかり生きるために教養が必要であり、その基礎を身に着けるために読書が有効な事を再度考えるべきだと思います。

まとめ

読書習慣が昔に比較して益々減り続けているのが現状です。こうした読書習慣が減少している事が、多くの信じられない社会現象を生み出している一因と言っても過言ではないと考えられます。

教養を身に着け、バランスの取れた人間として成長していれば、いじめ・SNSへの馬鹿な映像投稿・企業の不祥事などの多くの課題に一定のブレーキがかかる効果も期待できるはずです。

極端な考え方をセーブする能力は、バランスの取れた人間力が培われる事によって防ぐ事が出来るはずです。こうした各人がバランスの取れた教養を持ち、その上で突出した専門力を持つ人が出現する社会であってほしいと思います。

そのために、幼い子供の頃からの読書習慣を人生において持ち続ける事が大切だと思います。

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